和歌山県立桐蔭高等学校
昭和49年卒業・第26期生の
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安田(仲河)弥生

lemon@indigo.plala.or.jp

井上麻理ちゃんに励ましのお便り、お電話を!

我らが同窓生の井上麻理ちゃん(昨年の同窓会でお会いした方も多いと思います)が今、闘病生活を送っています。
彼女は同窓会の2ヵ月後の昨年10月2日彼女の誕生日に卵巣がんを
告知されました。
手術、そして抗がん剤治療を続けています。先月頃は随分体調が悪かったそうですが、いまピースハウスというホスピスに入ってから
体調が回復しています。
昨日私は3年K組の同級生と彼女を訪ねてきました。
場所は東海道線の小田原の二つ手前の二ノ宮という駅をおりてシャトルバスかタクシーで15分ほどのところにあります。緑に囲まれた丘の上のステキな建物で、そこにはお医者さん、看護婦さん、神父さん
そして暖かいボランティアの方々がいらっしゃいました。
彼女はとても元気で4時間半ほとんどしゃべりっぱなし、
写真を見せてくれたり、芝生の丘に登ったり。
でも本当は予断を許せない状況なんです。
友達に会いたがっています。声が聞きたいといっています。
手紙を欲しいといっています。
元気をもらいたいと言っています。
麻理ちゃんはとても前向きにがんばっています。

〒259−0151 
神奈川県足柄上郡中井町井ノ口1000−1 ピースハウス病院内 
井上麻理
TEL  
0465−81−8919(自室に直通)

自宅:
〒253−0012 茅ヶ崎市小和田1−9−14
TEL 0467−53−1626

宮本明彦

私も同窓会の2次会で麻理ちゃんと子どもの話などをしたのですが。
がんばれ 麻理ちゃん!! 

大岡 功

cbp66920@pop12.odn.ne.jp

大岡です
HPで井上さんのことを知りました
直接、話しをしことはないけれど、やはり、同級生なにか、
書かずにはいられません
全国には、いや世界中に、声援をおくっている同級生がいます
決して、そのことはわすれないで!!

小室吉弘

komuro@sumitomopharm.co.jp

井上麻理様
はじめまして(ひょっとしたら既に会っているかも知れませんが)
私、小室吉弘と申します。
1年はB組(有井が担任)、2年は組不明(中西定省が担任)、
3年はA組(担任不明)でした。
クラブはバレーボール部です。
今はしがないサラリーマンをしておりますが、「体の丈夫な事だけが
取り得」といわれ続けて早45年が経過しました。
従いまして病気の方の苦しみ、
悩み等はなかなか理解できないのかもしれません。
私に今言える事は「とにかく希望を持って頑張って下さい」
という事です。
最も深い暗闇の時は夜明け前だそうです。
しかし、少し我慢すれば太陽が出てきます。
もうすぐ夜明けが訪れる事を心よりお祈り申し上げます。

2000年8月8日 小室吉弘

佐谷 みどり

midoring@osk4.3web.ne.jp

友人から連絡をもらい

さっそく電話をかけてみました。
そのときこのHP更新のことも聞きました。
元気な声は1年前の夏そのままです。
近々、訪ねる約束をしました。
同室でお泊まりもできるそうなので1晩、語り明かしてこようと
思っています。
帰ってきたら、また様子をお知らせします。
弥生ちゃん、宮本君、ありがとう。ご苦労様です。

福地 達明

t.fukuchi@docomo.ne.jp

大岡よりのInformationにて井上さんの病気をしりました。
3年K組 井上 麻理へ
同窓生は皆あなたの病気を心配しています。
一日も早い回復を心よりお祈りいたします。
病は気からといいますが、直す自身の気持ちが一番です。 
「早く直すぞ」という強い気持ちで頑張ってください。                         関西より
早期回復を祈ってます。
3年K組 福地 達明

行ってきました。



佐谷 みどり


midoring@osk4.3web.ne.jp

「がん」がいた

「がん」がいた。

おなかの中に「がん」がいた。

手術室の中でみんなとってしまったはずだったのに。

目に見えないやつはおなかの中で育ってしまった。

薬をくれても、気力で闘っても、そいつは消えない。

「がん」がいた。

おなかの中に「がん」がいた。

けれど、今はちょっとだけ平穏に

生きていられる。

不思議な気持ちで、自分の命を信じて生きていられる。

何が理由とは、私にも言えないけれど、

今は信じて生きていける気がする。

「がん」がいた。

おなかの中に「がん」がいた。

おかげで家族と仲良くなれた。

おかげで夫とも仲良くなれた。

不思議な力のおかげでみんなと仲良くなれた。

「がん」がいた。

おなかの中に「がん」がいた。

もう少し、それでも生きていける光が見えてきて、

「がん」のおかげで生きることを喜ぶことができる。

今は、それを喜びとしよう。




麻理ちゃんへ。

1日遅れでこのページを読んでくれているはずですね。

郵便より早いかと、一足先にここでお礼とおわびを
言わせてもらいます。
至らなく、未熟な自分でした。
ひきかえ、貴女がどれだけ大きく見えたことでしょう。
同病の患者さんたちへの細やかで行き届いた心づかい。

スタッフの皆さんへの誠実で心こもった感謝の気持ち。
答に詰まっている私を明るいジョークで助けてくれた深い思いやり。
一日貴女のそばにいさせてもらって感じたことの全部と
聞かせてくれた話の全部を文字にして
私の一生の宝物にしようと思います。
あとで手紙を書きます。



同窓生の皆さんへ。

井上麻理さんは頑張っています。
諦めることなく
しかし冷静に。
妄信することなく
しかし希望を持って。
生花をアレンジし
押し花をパッチし
クレヨンで絵を描き
手紙をしたため
そして詩を書きます。
一日一日を
静謐に、丁寧に、
生き抜いています。
同窓生540名の祈りが結集し
麻理さんの平穏が
長く長く長く長く
どこまでも
続きますように。



魔法の国

一つ眠って目覚めると、あんなに苦しかった

吐き気がなくなった。

もう一つ眠って目覚めると、おいしいお粥が

食べられた。

その次の次に目覚めると、なんと点滴注射がなくなって

薬が飲めるようになった。

しばらくご無沙汰の友人たちにいくらでも手紙が書けて

心配させどおしの田舎の両親に電話もできた。

一つ眠ったら、なんとお散歩ができた。

ハーブの香る庭で、ひとつひとつの花や草の名を呼びながら

丘の上まで行ってこられた。

なんと素敵なところだろう。ピースハウス。まるで魔法の国。

院長先生は国王。いろんな大臣たち、大司教、女性陣。

どの人も皆やさしくて

我々民は平穏をむさぼっているよう・・・・

もう一つ眠って目覚めると皮下注射まで消えてしまった。

外からのルートが全て外されて

自分自身だけで生きていることができるようになった。

お薬の助け、皆さんの助けは受けながらも

自分自身の心と体で生きているという実感が

たまらなくうれしい。

ここはまるで魔法の国。

たった一週間で自分に戻れた。まさに平穏の国。

ピースハウス、バンザイ!!

私の幸せに バンザイ!!

       

         2000年7月19日  井上 麻理

山岸 泰行

arvel@silver.ocn.ne.jp

よせがき 届いたかな

とにかく がんばれ 又電話します
やっさんより

2000/9/1

高森 博子

mime@d1.dion.ne.jp

今マリちゃんとの電話を切ったところです。

たわいもない話をして 受話器の向うから時々聞こえる
彼女の笑い声に 逆に救われた思いになってしまいました。

ちょっと体調も気持ちも辛いときもあり手紙やメールへの返事が
機嫌の良いものではないときがあっても
あるいはなかなかだせなくても勘弁してねと言っていました。

10月2日が彼女の誕生日だそうです。
お花を贈るね と約束しました。

2000/9/6

行ってきました2。

佐谷 みどり

midoring@osk4.3web.ne.jp

先週、麻理さんと連絡を取られた皆さんの中には、
心痛めて大変心配しておられる人たちもいると思います。

(私もその一人です)
その心配が高じて、先日二度目の訪問をしてきました。

3時、ティータイム。
直径5cmのホームメイドクッキーを3枚、
しょうゆせんべいを2枚、キットカットを1つ、
アイスコーヒーを1杯、ぺろりと平らげました。(私じゃないです!)

6時、夕食。
メインディッシュのアジのたたきからデザートのぶどうまで、
1皿残らずあっけらかんと食べました。(同。)

夜、お部屋で。

壁の真ん中に天井からぶら下げてある寄せ書き2枚、
ソファによじ登って私が名前を読み上げ、卒業アルバムのページを
繰って麻理さんが顔を確かめ、
宮本くんが送ってくれた同窓会のクラス写真と
森保平くんが送ってくれたゴルフコンペの写真を
一緒に広げて見比べ、二人の間でワイワイギャーギャー
どんな言葉が交わされたか嗚呼、
到底ここでは書けません・・・(^^;)(^^;)(^^;)

先週の麻理さんとは、まるで別人です。
丸山ワクチンの効果が出てきているのではないかと
Dr.はおっしゃるそうです。
自己免疫力を高めること。それが勝利のチャンスです。

もしもあの山の上の病院で一人「静かにそっと見守られ」て
いるだけの生活なら、麻理さんの「免疫力の向上」は
望めるでしょうか。

このページにこのコーナーが立ち上げられそのおかげで
たくさんの手紙が届きました。
たくさんのなつかしいお友達が電話をくれました。
ゴマが届き、寄せ書きが届き、ビデオや高麗人参まで
送られてきました。
それらのたくさんの有形無形の応援が、
麻理さんの生きる力を刺激し、高めています。
それが生命の神秘です。

確かにアップダウンの波はあります。
「静かにそっと見守っていてあげること」が必要なときは
あるでしょう。
ただし今はまだ「まだまだくたばれへんでぇ〜〜」!!
彼女のはじける笑顔と笑い声を、
皆さんにも届けたいと思いました。
どうか安心して「がんばれ」と言ってあげてください。

p.s.
麻理さんの書いた詩「魔法の国」に曲がつきました。
コーラスの指導をしてくださっている女性が心打たれ
作曲してくださったそうです。
素敵なミュージカルナンバーを思わせます。
エレクトーンを弾きながら歌っておられるカセットテープを
借りてきました。ご入り用の方、
左記アドレスまで連絡いただければダビングして送ります。

2000/10/4
訃報

安田(仲河)弥生

lemon@indigo.plala.or.jp

今朝早くご主人から電話をいただきゆうべ6時に麻理ちゃんが亡くなった事をしりました。

おとといの誕生日の朝電話した時あんなに元気で冗談を言い合ったのに。
前日は日曜日だったので家族がみんな来てくれて誕生日ケーキを食べたのよと喜んで話してくれました。
麻理ちゃんが死んでしまったなんてとても信じられません。
ただ1ヶ月ほど前調子が悪くて食べられないときがあり、
その時電話したら
「弥生ちゃん、私が死んでもみんなに悲しまないように言ってね。
悲しまれるとわたしがつらいから。ピースハウスに来てこんなに穏やかな気持ちで日々を送れる事ができたことを喜んでほしいと
桐蔭同窓会ホームページに書いてね。」

そう言っていましたのでみなさんにお知らせいたします。

麻理ちゃんの長男、修士君より

10月4日
午前6時5分、母・麻理がゆっくりと息をひきとりました。

6日の午後7〜8時でお通夜を、
7日の正午〜1時で告別式を、やる次第となりました。

簡単ではありますがここにお伝えいたします。

                          

                     長男・修士より

佐谷 みどり
TEL連絡

式場は
湘和会堂茅ヶ崎  tel 0467-82-1665


辻 村 光 司

koji7@ creamy.nax.ne.jp

先日、電話でお話ししたときにはあんなに元気に
「また和歌山で、宴会やりたいね!」なんて話をしていたのに....。
いつかは、「その時」が来るのかなって漠然とは思ってましたが
こんなに突然にとは思ってもいませんでした。
彼女の誕生日に電話を入れようと、病室の電話番号をメモして
鞄に入れて出勤したはずなのにいざ電話しようとすると
メモが見あたらなくって....。
しかたないので仲河弥生さんに
「井上さんに、ハピィバースデイいっといて」って
メール入れたんですが「虫の知らせ」だったんでしょうか?

ご冥福をお祈りいたします。

"Masako Yamaji"

17masako@d1.dion.ne.jp

山路(藤木)昌子です。

先程、訃報をうかがいました。
井上麻理ちゃんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

笑顔が向日葵の花のようだった麻理ちゃん。
天国はこれから夏なんだろうか。
だから麻理ちゃんの笑顔が必要になるのだろうか。
励ましの言葉にも詰まりながら書いた葉書に、
「決して悲しまないで下さいね。
私は私の人生を全うしているつもりでいます」
と返事をくれた麻理ちゃん。
高校の頃、貴女はいつも私より大人で、私は貴女の暖かさに
包まれていた。いつまでたっても、その関係は変らないと思った。
私はいつまでも貴女の前では子供です。
貴女の葉書、大切にします。
天国でも、その向日葵の笑顔をふりまくのだろうな。
また、いつか、天国で同窓会をしましょう。
みんな必ず行くから、待っててね。

2000年10月5日  
  

10月6日

お通夜

安田(仲河)弥生

lemon@indigo.plala.or.jp

今夜小林君とみどりちゃんとお通夜に行ってきました。

麻理ちゃんは化学療法をもう受けられない状態でしたので
髪の毛や眉が生えてきていつものようにふっくらとして
今にも起きてきそう、死んでいるなんて信じられない様子です。
桐蔭同窓会HPを通じて多くの同窓生に励ましのお手紙や
お電話をいただき、会いに来てくれたりいろいろなものを
送ってもらったりして彼女はとても喜んでいました。
彼女に代わりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
短い人生でしたが精一杯生き、
とても充実した一生であったと思います。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

10月8日

行ってきました The Final。

佐谷 みどり

midoring@osk4.3web.ne.jp

麻理ちゃんはお花に包まれて逝きました。
中島みゆきの歌が流れていました。
修士くんがお母さんの詩を朗読しました。
「魔法の国」も流れていました。
「人間の生から死への営みの全てを麻理は私に見せてくれました」
御主人がおっしゃいました。
麻理ちゃんは笑顔でした。
「棺は重かった」とだれかが言いました。
お別れのクラクションが秋風の中にひときわ高く鳴り響いて、
麻理ちゃんの車は出発しました。
茅ヶ崎の空は晴天でした。
「山に向かって目を上げる我が助けはどこから来るのであろうか
(あの山の向こう・・・)」
麻理ちゃんが口ずさんでいた詩編121篇
井上麻理ちゃんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
麻理ちゃん、おつかれさんやで!!

小林博孝

同窓生の皆様へ

透通るように青い空の下で行われた麻理さんのお葬式から、早くも三週間経ちました。
直前までのあまりに元気な姿と声に、まだ現実を受入れられなかった
僕は、事前にアポを取り、ご自宅までお線香をあげに行ってきました。

通された部屋には、麻理さんの大きな遺影と、まだ新しいお花とがあり、麻理さんの大好きだったというゲンコツせんべいが添えられて
いました。
去年以来書きためたという日誌をご主人に勧められ読み進むうちに、彼女の人として、母として、女性としての強さを感じました。
生前病床にあった麻理さんが、逆に友達の相談に乗ることで、生きる張合いになっていたことから、人に言えない悩みなどを受止める
「麻理ちゃんポスト」が作られたそうです。
封書で出してくれれば、麻理ちゃんの月命日などに焼いて、
麻理ちゃんへ届けるとのことです。
もちろん麻理ちゃんにお別れの言葉をかけてあげられなかった人は、別れの言葉を書いてもいいと思います。
夕方も5時になり、なごりを惜しんで玄関を出ると、冷たい雨が降っていて、その雨粒に濡れないところに、真新しい「麻理ちゃんポスト」が
家族のポストの横に並んでいました。
四十九日は11月21日と聞いています。
和歌山が大好きで、和歌山に帰りたいと思い続けていた
麻理さんでした。
特に和歌山近辺の方、和歌山に咲いている花でも押し花にして送ってあげてください。

宛先は、
神奈川県茅ヶ崎市小和田1−9−14
井上「麻理ちゃんポスト」です。

平成12年11月1日
小林博孝  



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